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樋口了一

脳神経内科
歴訪シリーズ

第8回 和歌山県和歌山市
和歌山県立医科大学病院

●ゲスト

和歌山県立医科大学 脳神経内科学講座 教授
和歌山県立医科大学附属病院 副院長・認知症疾患医療センター長
伊東 秀文 先生


●ホスト

シンガーソングライター
樋口 了一さん



和歌山県立医科大学の脳神経内科は、設立されて20年とその歴史は比較的新しいのですが、神経難病の研究では50年以上歴史があるため、脳神経内科の幅広い病気の治療経験が豊富にあります。同大学は、全診療科を通じて和歌山県の医療の中心的役割を果たしていますが、神経内科では、日常の診療のほか、和歌山県の神経難病ネットワークの事務局として、パーキンソン病などの神経難病の患者さんが、自宅で安心して療養できる環境整備にも取り組んでいます。
今回は、同大学脳神経内科講座教授の伊東秀文先生に、シンガーソングライターの樋口了一さんがお話をうかがいました。

和歌山県立医科大学脳神経内科の幅広い役割

伊東先生

樋口さん 今回は、和歌山県立医科大学脳神経内科学教授で、附属病院の副院長を兼任されている伊東秀文先生においでいただきました。まず、脳神経内科では、どのようなことをされているかについてお聞かせいただけませんか。

伊東先生 はい、現在の脳神経内科が発足したのは、1999年ですから20年を迎えたばかりと、比較的新しい診療科ということになります。ただ、紀伊半島の南部には牟婁(むろ)病(びょう)という、筋萎縮性側索硬化症(ALS)とパーキンソン病の両方の特徴を持った、ほかではあまりみられない病気が発生することがあります。この牟婁(むろ)病(びょう)の研究は、50年以上続けられているので、脳神経の病気の経験はかなり長いといえます。

樋口さん 牟婁(むろ)病(びょう)ですか。初めて耳にする病気ですが、原因などは分かっているのですか。

伊東先生 いいえ、遺伝や環境が関係しているのではないかといわれていますが、まだ原因ははっきりしていません。

樋口さん そういった病気も含めて、脳神経の病気を幅広く治療していらっしゃるのですね。

伊東先生 そうですね、和歌山県全体の脳神経内科医療の中心という位置づけです。また、教育機関として医師を養成するという役割も担っています。このほか、神経難病ネットワークの事務局として、和歌山県内の介護施設、訪問介護ステーション、保健所などをネットワークで結んで、患者さんが主にご自宅で安心して療養できる環境作りのお手伝いもしています。

早い時期からパーキンソン病と診断するのが難しいことも

樋口さん

樋口さん 2018年の秋から診療科の名称を神経内科から脳神経内科に変更なさったそうですね。

伊東先生 はい、私は神経内科医になって30年になりますが、神経内科というと、患者さんに精神・神経を診る科と受け取られることがあります。そこで、混乱を避けるため脳神経内科と呼ぶことになりました。

樋口さん やはり神経内科は、精神の病気を診るというイメージでしょうか。私自身も、体に異常を感じたものの、当初はどの診療科に行ったらよいか分からず、いろいろな病院や整体などに通った後、ようやく神経内科にたどり着きましたが、それまでに2年以上かかりました。脳神経内科と名称が変わって、神経難病の人が少しでも早く診察を受けられるようになればよいですね。
特に私の場合、初めはふるえ(振戦)が目立たず、体幹のこわばりが先で、その後は歩いている時に片手が前に出なくなるという症状でした。そのこともあり、自分で神経の病気ではないかと思いあたるまでに1年半ぐらいかかりました。

伊東先生 そうですね、初めから振戦が出ていれば、脳神経内科以外の医師でもパーキンソン病ではないかと思うのですが、体の動きが遅くなったりこわばりを感じたりする無動(むどう)が先に出ると、脳梗塞や頸椎症(けいついしょう)などのほかの病気の可能性を考えがちになります。

樋口さん 無動(むどう)が先に出ていても、脳神経内科の先生ならパーキンソン病と診断してもらえるのでしょうか。

伊東先生 脳神経内科の専門医なら、病気の候補としてパーキンソン病を考えるでしょう。ただ、樋口さんのように比較的若い方では、ほかの病気との鑑別が大切になります。また、無動の症状が手足から先に出ていれば、比較的早い時期からパーキンソン病と診断できますが、樋口さんのように無動が手足よりも体幹に先に出た場合には、早期から診断するのが難しい面もあります。

伊東先生が日常の診察で大切にしていること

伊東先生

樋口さん 伊東先生が、日常の診察の中で大切にされていることをお聞かせください。

伊東先生 私たちは、外来で1日に多くの患者さんを診察しますが、ともすれば、医師の立場からは1人1人の患者さんは、何十人の患者さんの中のお1人で、お1人の診察時間も何時間かの診察時間の中の数分間と受け取りがちになります。しかし、患者さんの立場からは2ヵ月か3ヵ月に1度だけ医師に会えるわけです。2ヵ月も3ヵ月も待って訴えたかったことをやっとお話しになるのです。ですから、私たちはその訴えに真剣に向き合って、必ず何らかの対応をするということを心がけるようにしています。その場で医師に聞き流されてしまうと、患者さんはまた2ヵ月か3ヵ月待たないといけなくなりますから。

樋口さん そのように、真剣に対応していただけるのは私たち患者にとって、非常にありがたいことだと思います。今のお話は、私たちの仕事でもいえることですね。私たちは、年に何度も歌っているので、同じことを繰り返していると考えてしまいそうになります。しかし、歌を聴きに来てくれるお客さんにとっては、1回限りの一期一会の場であることも少なくないでしょう。そのように考えて1つ1つのステージを大事にしないといけないですね。
歌のステージでは、エンターテイメントやパフォーマンスが大切ですが、脳神経内科の先生も、患者さんを元気にする一言や、話をするときの表情、思いやりなど、ある意味パフォーマンスが大切だという点で似ていますね。

伊東先生 たしかによく似ていますね。

最近のパーキンソン病の治療方法

樋口さん

樋口さん 最近のパーキンソン病の治療方法について教えてください。

伊東先生 現在、飲み薬や貼り薬のほかに脳への電気刺激を利用した脳深部刺激療法(DBS)や、L-ドパ製剤を直接小腸に届ける経腸療法が使えるようになっています。

樋口さん 最後に、脳神経内科医としてのモットーをお聞かせください。

伊東先生 まず、患者さんと共にということです。そのうえで、持てる知識をすべて使って、患者さんのために考えるということが、一番ではないかと思います。

樋口さん 本日は、幅広いお話をうかがえて、私も勉強になりました。大変ありがとうございました。

対談写真

樋口了一氏プロフィール

樋口了一氏

1964年、熊本県生まれ。立教大学在学中からバンド活動を始め、1993年に『いまでも』でデビュー。北海道テレビの「水曜どうでしょう」シリーズのテーマソングにもなった「1/6の夢旅人2002」を発表。歌手活動の傍ら、SMAPや郷ひろみさん、石川さゆりさんなどに楽曲を提供。2009年には「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」で日本レコード大賞優秀作品賞などを受賞。ちょうど、代表曲「手紙」が大きな反響を呼んだ時期と重なって、ギターが弾きにくくなったり、声が思うように出せなくなったり、と体に異変を感じる。整体、鍼、整形外科、かみ合わせ、神経内科など14ヶ所もの病院へ行っても原因がわからないという経験をし、その後パーキンソン病と判明。現在もパーキンソン病と向き合いながら、アーティスト活動を続けている。